「春日餺飥うどん」は、来年3月から、春日大社で20年に1度の式年造替が始まるのを記念して、その昔、春日大社で振る舞われたとされている「古代のうどん 餺飥(はくたく)」を再現したものです。NPO法人奈良の食文化研究会は、春日大社からお教えいただいた資料などを参考にして、その頃、奈良で食べられた餺飥は、うどんの元祖であると想定いたしました。その背景を以下に説明いたします。
中国には、大昔から小麦を製粉する技術があり、小麦粉を使ったいろんな食べ物が作られていました。日本でも飛鳥・奈良時代には、小麦が栽培されていました。万葉集のなかにも小麦を歌ったものもあります。当時は、遣隋使や遣唐使を通して、今日の日本の制度や文化の源となる多くのことを学びましたが、小麦粉を使った食べ物も伝わりました。その代表は唐菓子で、縄状の索餅(さくべい)は、そうめんの祖であるとされています。また、東大寺で石臼を使った施設(恐らく、製粉場)があったことも知られています。しかし、奈良に都があった頃、小麦粉を使用した食べ物の全容は明らかではありません。
時代が進んで、平安時代藤原道長の全盛期に小野宮右大臣藤原実資の日記『小右記』に、一条天皇の春日大社行幸(989年)の折、春日大社で一行に餺飥が振る舞われたと書かれています。また、この饗宴の場で、20人の「餺飥女」(はくたくめ)が音曲に合わせて打ったとも記されています。鎌倉時代の料理書『厨事類記』によりますと、餺飥(バウタウ)は「米粉を山芋でつなぎ、れむ木で押し広め、刀で切って」作ったとされています。
うどんの起こりには諸説あります。室町時代の公家の日記『山科家礼記』などの記載により南北朝から室町時代の初めとする説、関東の武将・北条重時の書簡により鎌倉中期以前とする説、鎌倉時代の仁治2年(1241年)に中国から帰国した円爾が製麺の技術を博多に持ち込んだという説などです。奈良の食文化研究会としては、“餺飥はうどんの元祖であり、奈良はうどん発祥の地である”と食のロマンを夢みております。
餺飥にまつわる話
上記の春日大社での餺飥は、20人の餺飥女が楽に合わせて打って提供したと記されています。
2015年3月に行われた「目ッ茶旨グルメコンテスト麺の部門」にて「はくたく花林糖」が1位となりました。